夏休みも終わって学校再開ですね。
よくニュースでも、夏休み明けで、気持ちを切り替えなければいけない時期に、子供の心に負担がかかってしまう話、よく目にします。
それとは少し話が違いますが、
夏期講習中に、とある生徒から、「なんで因数分解とかやんないといけないのー?先生」とか、「こんなのやって将来つかうの?」など、夏の連続授業の疲れもあるのか、質問が飛び出しました。
まぁ、たしかに、勉強内容って、将来使わないですね。
ある学問分野をきわめて、専門的な職業をするなら別ですが、たいていの人にとって、因数分解とか、縄文時代とか光の屈折とか、ぜんぶ忘れても生きていけますよね。
勉強はやっとくべき!知識をつけておくのは大事!という大人には、生徒たち同様に、わたしも懐疑的です。わたしは塾の先生ですが、勉強の内容自体は、わりとどうでもよいと思っているので。
勉強で知識をつけておくのは大事!と言う大人に限って、なんで勉強が必要だと思いますか?と質問すると、「英語を勉強したおかげで、海外旅行に行った時に便利だった」とか「日本地理で河川や山脈暗記していたおかげで、社会人になって教養として役に立った」など、わりと、どーでも良いことを答えたりします。
勉強内容が、将来役に立つためだけに、勉強しているのでしょうか?
わたしの考えとしては、勉強の内容自体はどうでもよくて、因数分解や縄文時代を暗記するなかで、思考力や精神力・集中力・忍耐力・表現力・情報収集能力・目標を立ててそれを達成する能力などを養うことができるからこそ、勉強は大事だと思っています。近年流行りの非認知能力ですかね。
スポーツなど、他のことでも、そうした力は養えるでしょうが、国数英理社のような勉強ほど、頭を酷使して、思考力をつけられるものって、他にはないからこそ、一番効果的なのです。
個々の科目について言えば、
数学を学ぶのは、因数分解を大人になってもおぼえておくため、ではなくて、数学的思考を身につけるため、ではないでしょうか。
将来、お金や税の計算はもちろん、仕事内容の把握や、自分や家族の人生についての計画や選択など、小さなことから大きなことまで、色んな局面に、数学的考え方を使うと思うんですよね。
普段は意識していないだけで。
因数分解なんかは忘れても良いのですが、数学的にモノを考えることは、見えないだけで人生の至る所にあって、皆さん自然とおこなっていると思います。
そうした深い部分で将来関わるので、数学は大事だと思うのです。
英語も同じで、
英語を学ぶのは、将来英語を使うため!ではなくて、語学的能力を身につけるため、だと思います。だから、まぁ極論ですが、小中高で学ぶものは、英語でなくても、古代ギリシャ語!とかでも、わたしは良いと思ってますよ。(自分は教えられませんが。)
考えてみてください。
もし小中高で、古代ギリシャ語をゴリゴリ必死に勉強した人であれば、大人になって、仮に仕事で英語を使う必要が出てきたとしても、ちょっと英文法を自分で勉強して、YouTubeで英会話でも学べば、すぐに仕事で使う英語くらいできるようになりますよ。
古代ギリシャ語という難しい勉強を必死にやることを通して、思考力や精神力・語学的感覚の底上げがなされてるから、ですよね。
(この例えは極論ですが。)
なので、わたしは、英語の学習で4技能が大事という議論にはあまり賛成しない派でして…
学習を有用性だけで判断しているのが、あまり好きではないんですよね…
よく、私立の中高が、うちの学校はどれだけ実践的な英語力に力を入れているか、海外留学やネイティブの先生の授業を取り入れているか、さかんにアピールしていますが、やっぱりあれは、パフォーマンスの側面が大きいなぁと感じます。
学生のうちだけでも、ゴリゴリ思考力を養う、しんどい読み書きの勉強をしておくべきだと思いますよ。英会話くらい、大人になってからもすぐ学べますし。
まとめると、
いま、必死になって、定期テストや受験のために知識を詰め込んでいる生徒の皆さん。そうした日本式の詰め込み教育は、悪いものではありません。自信を持って勉強しましょう。そして、大人になれば、その知識はすっかり忘れてしまって大丈夫です!内容は忘れても、それを学ぶなかで培った様々な能力は、社会に出てから必ず役に立ちますよ。
以上、勉強を通して、非認知能力を養おうという話でした。
(わたしはブログでは逆張りみたいな、極論ばかり言ってますが、実際はもっとおだやかな人間です…念のため言っておきます…!)
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