こんにちは。校長の杉野です。
個別指導塾に通われるお子さん、小学生から高校生まで(うちの場合、なんと保育園年長さんもいらっしゃいます)、通塾目的、というか、勉強をどういう形で必要としているかは、ホントに多種多様で、ご家庭ふくめ、さまざまな人間模様があったりします。幅広く指導するので、「小学生から高校生まで」と書きましたが、実際は、「未就学のお子さんから社会人まで」、というのが正しいです。
そんな中でも、私の指導経験のあるお子さんで、思い出すままに、何人かご紹介しようと思います。個別塾で幅広く生徒さんを受け入れている以上、なかなか濃いドラマをもった生徒さんもいらっしゃるのです。そして、ふと、寝る間際とか、別の子を教えているときなどに、「あの子元気してるかなー」と、思いがけなく思い出されるのも、こうした印象深い生徒さんなのです。
※坦々と物語るので、面白くないかもしれませんが、お暇なときに読んで頂ければ幸いです。
① ある社会人22歳の生徒A君
【プロローグ】
私がむかしまだ一講師だった頃、当時の個別塾に社会人の生徒さんが入塾しました。というのも、わたしが無料体験授業をし、彼から話をきいて、「高卒で働いていたがやっぱり大学に行きたい」「行くなら死ぬ気で勉強して、慶應を目指したい」と意気込んでいたので、わたしも当時は彼と歳が近く、熱くなり、ぜひ一緒に頑張ろう!ということで、そのままわたしが授業を受け持つ形で、入塾になったのでした。
高卒で、大学受験の勉強は一からスタート。
私大の文系ねらい(目標は慶應)です。
英語・日本史・国語(現代文のみ)を学習していくことになりました。
塾での授業は、英語がメインです。
体験授業のときA君を見て、彼の現状の学力はだいたいわかっていました。中学英文法から復習が必要ですが、ポテンシャルは間違いなく感じました。社会人だからというか、大人なだけあって、自学習の力、自己管理能力も強く備わっていました。
あとは、単なる意気込みだけではなく、本当に努力する気合いも、強く感じました。
【1年目】
彼には2年計画でやろう、と伝えて、そのなかで地道にやっていきました。
最初の1年は、経済的な理由からまだ仕事も続けており、しかも、夜勤で電車のレールを整備するといった、肉体的にもハードな仕事をしていたので、しょっちゅう体調を崩したり、目標までの距離の遠さを感じてナーバスになったりと、大学受験生として勉強だけに打ち込む、という生活がなかなか出来ない日々が続きました。
そんな中でも、学習は着々と進んでいました。4月に入塾して、夏の終わりごろには、もう高校英文法は一周終えていました。中学1年生の英文法からスタートして、本当によく頑張ったと思います。
学習進度はかなり好調でした。
ただ、自分の体調を犠牲にしても勉強しようとするので、そのせいで体調が悪化し、1週間寝込んで勉強できない、など…こちらも本気で教えているぶん、体調管理はうまくやってくれよ!とヤキモキするようなことも、多々ありました。(もちろん、内心思っているだけで、励ます言葉だけに留めましたが。)
2年計画でしたが、最初の1年目で、日東駒専は合格しておきたい、と考えていたところ、実際に、1年目で日大と駒澤大学はしっかり合格してくれました。素晴らしかったです。法政と(あとどこかMARCH1つと)、慶應も、受験しました。これらは1年目ではダメでした。
【2年目】
さて、1年目で日東駒専に合格する力をつけ、いよいよ2年目、来年にはどうにか慶應に受かるよう頑張ろうと、彼が社会人ということもあり、他の講師たちも誘って、焼き肉みんなで食べて景気づけしたりして、また、つらく大変な勉強の日々が始まりました。
1年目と違ったのは、A君は、仙台にいる実家の親に現状を話したことでした。それまで親には何も話していなかったのです。大学を目指していること、この1年は勉強に集中したいから、仕事をやめること、など。この1年間だけという条件のもと、親の支援もあって、仕事をやめ、丸々一日勉強に費やすことができる運びになりました。
2年目、慶應を目指すだけあって、かなり難易度の高い学習を進めていきました。
ただ、やはり壁にぶつかりましたね。学習面でのこまかい事情は長くなるので割愛しますが、本人のポテンシャル的な限界が、MARCH中堅くらいに見えてきました。MARCH下位であればなんとか合格できるかな、といった感じです。それは、2年目の限界というよりは、今後さらに年を重ねて勉強しても、これ以上はなかなか伸びないかな…という限界ですね。
(もちろんわたしの指導力の力不足もあったかもしれません。)
あと、仕事は辞めていましたが、高熱は頻繁に出していました。一人暮らしでの体調管理がうまくいっていませんでしたね。
そしていよいよ2年計画での入試本番。
結果は、法政には受かり、MARCH上位には受からず、慶應にも不合格、でした。
ただ本人を褒めたいですね!高校卒業後、仕事をしていた彼が、一念発起して大学受験にのぞみ、0のスタート地点から2年かけて法政に受かるまで頑張ったのですから。
【そして3年目】
彼はどうしても慶應を諦めきれず、かといって神奈川に残って勉強を続けるだけの資金もなく、どうしたかというと、1年間、仙台に帰り、実家の近くの予備校に通って、もうワンチャンスを狙う、という選択をしました。親の元で、体調管理も安心というわけです。
そうして1年後、受かったのは、前年と同じ、MARCHと日東駒専でした。慶應はダメでした、と彼から報告がきました。「やっぱり難しかったか…」というのが私の正直な感想でした。
そして、なにより、予想外で、せつないことに、「慶應だけを目指していたので、合格は蹴って、就職する。親も、慶應でなければ学費を出さないので…」という彼の言葉でした。
私としては、MARCHに(たしか法政に加え中央大学も受かっていました)、進学するものと思っていたので、ビックリしましたね。もったいない!と思うのは、皆さんも同じかと思います。しかも3年間、休まず勉強してきたわけですから。。。
【エピローグ】
彼はMARCHを蹴って、仙台で不動産の営業職に就いたと言っていました。少なくとも5年くらい前の話ですが。もう5年以上会っていないので、こうやって書いていると、なんだか懐かしいですね。わりとイケメンで、慶應行ったらモテるだろうなーという青年でしたが。
というわけで、今回は社会人A君のお話でした。
「サヨナラだけが人生さ」ですね!
読んで頂きありがとうございました。
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