むかしの思い出。
わたしがまだ小さいころ、母の運転する車のなかで、母が駅の方を指さして、「ああいう大人にはならんでね」と博多弁で言ったのを、はっきり覚えています。視線の先には、地元の駅でサラリーマン3人が、取引先と思われる人物に向かって、ペコペコ頭を下げて、お見送りしていました。
「ああいうのお母さんがいちばん好かん人やけんさぁ」
その言葉を受け継いだわたしも、心のどこかで営業職を避けながら(文系のくせに…)、塾の教室長という天職を見出すに至ったのです。
教室長も営業職じゃないの?と思った方、鋭いです。それは半分当たっています。
しかし、ですね…
「塾人」という言葉がありまして。
「塾人」とは、講師としての力量はあるが営業的な感覚の薄い人を指す言葉みたいです。わたしは塾人の要素が強いです。教えることの方が、大好きです。この業界で活躍していきたいので、「塾人」として誇りをもっています。
「塾人」は生徒思いすぎて、ついつい売上のことを忘れてしまうんですよ。
お金にならない生徒フォローをたくさんやってしまいます。
そしてそれが結果として、良い質のサービスにつながり、地元で長く経営できる塾につながる(と思っています)。
営業感覚は塾をきちんと経営していくうえで大事でしょうが、「塾人的な感覚がない人・営業力だけの人」っていうのは、長い目で見て塾をうまくやっていけると思えません。
というのも以前、当時25歳くらいのわたしは、ある塾で教室長をしていたとき、上司から「おまえは塾人だ。内部の生徒のことばかりじゃなくて、もっと営業意識をもて」と言われたことがあります。(そこで初めて塾人という言葉を知ったのでしたが。)
たしかに、それはもっともです。
確かな売上がなければ、塾として成り立ちませんし、塾の経営が傾けば、今いる生徒も路頭に迷うことになります。(まぁ実際は他塾に移れば済むだけかも知れません…)
※塾の営業というのは、「新規生徒集め」「講習会売上」などのことです。
ただ、面白い話と言うか、本当は面白がってはいけない話なのですが、
わたしはその塾に2年間いて、入社した当初教室に40人弱いた生徒数を、一時期65人まで増やしました。上司的にはそれでも伸び率が悪いということで、よく叱咤されていたのですが、わたしが退職し、その上司と別な社員の2人で教室を管理しはじめて、さらに3年が経過したとき、その教室、つぶれちゃいました。生徒が10名未満になって、年度が替わるときに、閉店、してしまいました。
わたしが退職してしばらくたって、つぶれたのです。
中身の質がちゃんとしていない塾は、つぶれるのです。
よくその上司から「保護者様への営業スキルを上げるために、毎晩ジャパネットたかたの通販のトークを観て、勉強しろ」と言われていました。(嘘みたいですが、本当ですよ…)
その上司は、生徒の入塾には全力を尽くし、入ったらあとはあまり興味なし、という感じで、内部の生徒のことを気にかけている瞬間があるとすれば、それは退塾しそうな生徒に目を光らせているだけ、の人でした。
もうひとりの社員は、明るさが売りの女性社員でした。なによりも笑顔と明るさが大事、みたいな。それはもちろん大事でしょうが、個別指導塾って、E○Cジュニアとかではないんですから、しっかりと学力がつくよう導かなければなりませんよね?くも○やE○Cジュニア、そろばん教室とはやっていることが違うのです。「みんなで和気あいあいと、勉強しよう!」という遊びながらの楽しい教育とは、違うことをやっています。80分間みっちり学力を上げる勉強をする、しかも隣に常に担当の先生がいる状態で、というのが個別指導なのです。そのぶん、幼児教育的な塾の2倍以上の高い月謝を頂いているのですし。
ま、要するに、内部生を大事にせず、「新規生徒獲得さえやっていればいい」とか「明るく楽しく接客してればいい」だけだと、中身がないから、つぶれるのです。生徒が抜けていくんですから。高い月謝を頂いているぶん、確かな教務的知識と指導力で、しっかり学力を上げる指導を行わないと、個別指導塾はダメなんですよね。
「塾人」的な要素が大事なんですよ、個別指導塾って。
高い月謝に見合うサービスをしっかりやらないと、つぶれるのです。
うちの教室は「塾人」的な教室です。
ということで、
良い授業を続ければ、生徒は自然に集まってくると思っていますが、どうでしょう。
こういう考え方も、いっぱしの社会人からしたら、商売として「甘い」のかも知れません。
ただしうちの塾は、退塾する生徒が、極端に少ないですよ。(梶ヶ谷校は今のところ0人!)
退塾がないので、生徒さんは増える一方なのです。
Comments